[歴史から学ぶ] ポンジ・スキーム

1882年、ルーゴという小さな集落にカルロ・ポンジという男の子が生まれました。ローマ大学に入学し、勉強もせず、四年間バーやオペラ座で遊びほうけてから21歳のとき新世界に向かいました。スリムで、口ひげを生やす伊達者で、弁も立ち、冒険心があり、人を説得できる性格なので、大きな夢を持つ青年の姿がそこにありました。ボストンに渡る船で、持ち金をすべてギャンブルに注ぎ込んでしまい、2ドル50セントの現金でアメリカに到着。しばらくして、カナダのモントリオールに引越し、ザロシー銀行の窓口に就職しました。しかし、間もなくしてその銀行が財政難に陥ってしまい、創業者のザロシーが、お客様の預金をすべて奪ってメキシコに高飛びしました。

一文無しになったポンジが、この状況から脱出する方法として考え出したのは犯罪でした。お客様の事務所を訪れ、人がいない隙を狙って、423ドル58セントの小切手を偽造しました。たちまち警察に逮捕され、三年間カナダの刑務所に入りました。

釈放されてから、ポンジは結婚し、アメリカに戻り、ビジネスの道に入ろうとしましたが、けっきょくは失敗。
それから数週間後、ポンジがすごいことを思いつきました。
それは、ある投資手法で、一攫千金が狙えるというものだったのです。

当時、郵便局が「国際返送クーポン」というものを発行していました。
郵便局でこのクーポンを買って、手紙と一緒に送付すると、海外で手紙を受け取った相手が、そのクーポンを現地の郵便局に持って行くと、切手と交換し、返事が出せるという仕組みでした。しかし、クーポンは送る国の郵送費のものを購入するのに対して、切手は受け取った人の国からの郵送費のものが発行されます。

第一次世界大戦後のイタリアは、通過の価値が暴落し、国際郵送費は非常に安くなっていました。そこで、ポンジが考えたのは、イタリアでこの国際返送クーポンを大量に購入し、アメリカで切手に変換し、その切手を換金すれば、大きな利益になるということだったのです。

ポンジが友達に声をかけ、「この手法を使って、90日間であなたのお金を倍にしてあげるから投資してください」と勧誘しました。そこで、数人の友人が彼のスキームに投資し、約束通りの支払いを受けました。

1250ドルの投資に対して、750ドルの利息を付けて、返されたのです。

山火事のように、ポンジの話が口コミで広がりました。ポンジは、アメリカ東部の各地方から資金を集めるための代理店も設置しました。投資家たちが実際に大きな利息を受け取っていたので、投資したいという人が殺到しました。家を抵当に入れてローンを組んでまで、投資をする人もいっぱいいました。

そして、わずか半年の間で、何百万ドルの儲けをあげたのです。ポンジは豪邸に住み、銀行も買いました。

問題はひとつだけあったのです。
ポンジは受け取っていた投資資金を実際に投資していなかったということです。

国際返送クーポンは一枚も買っていませんでした。
結局クーポンの換金業務が複雑すぎて、利益にならないと判明したのです。

そこで、ポンジがどうしていたかというと、投資家に利息を支払うために、次の投資家からもらったお金を使っていました。ネズミ講の誕生でした!

2月にスタートしたポンジのスキームが7月になると一日25万ドルペースで新しい資金を集めていました。そこで、何かがおかしいと思った地元ボストンの記者が郵便局に問い合わせたところ、国内外を問わず、国際返送クーポンが大量に買われている事実はないという返事が返ってきたのです。

8月12日にポンジが詐欺罪で逮捕され、すべてが崩壊しました。
そして、投資家たちが全滅したことは言うまでもありません。

ネズミ講とは、次の投資家のお金で、前の投資家に支払いをすることです。